前回の続きです。
なぜ不倫会見時の映像と普段の会見映像を比べた結論は問題なのか?です。
それは同じものを比べていないからです。
夫や妻に不倫を疑われ、それを否定している情景を想像してみて下さい。
緊張しませんか?
本当に不倫をしていても、本当は不倫をしていなくても、緊張しませんか?
人は緊張すると、瞬きをたくさんします。また、顔や鼻、その他自分の身体に触れる・さわる・さするなどのマニュピュレータ―という動きをします。
人前で話すときを想像して下さい。
緊張しませんか?
答えが見えてきました。クリントン氏の話に戻しましょう。
そもそも不倫会見している時点で緊張してしまうため、そのサインが緊張のサインなのか、ウソのサインなのかわからないのです。
もし正確にウソのサインを特定しようとするならば、同じものを比べなくてはいけません。クリントン氏の例で言えば、理想的には、本当に不倫をしていないことがわかっている他の不倫会見映像と本当に不倫をしたことがわかっている不倫会見映像をとを比べる。まぁ、基本的に不可能でしょう。それならば、せめて、ウソをついているのではないかと疑われているものの本当に真実を述べている会見映像と今回の不倫会見映像とを比べる。
つまり、同程度に緊張している状態の二つのものを比較しないと差を比べたことにはならないのです。これをApple to Appleと言います。同じもののようで違うものを比較していることをApple to Orangeと言います。
比較対象が違うものを比較しても何の結論も下すことは出来ません。
なお、前回の話を今一度繰り返しますが、比較対象を統制して行われた科学実験では、瞬きの増加やマニュピュレータ―はウソのサインとしては認められていません。
同じものを比較する。常に意識したい視点です。
清水建二