本日は、書籍の紹介をしたいと思います。
バチャ・メスキータ (著), 高橋 洋 (翻訳), 唐澤真弓 (解説)『文化はいかに情動をつくるのか――人と人のあいだの心理学』紀伊國屋書店(2024)
という書籍です。ざっくり内容紹介は次の通りです。
〈喜び〉〈怒り〉〈悲しみ〉などの情動は、世界共通ではなく、文化ごとに異なる。情動の発生やとらえかたは文化によって異なるため、グローバル化が進むことで、情動に関わるすれ違いが軋轢を起こし得る。よりよい多文化共生社会を実現するためにどのような情動リテラシーが必要か、実証的な証拠を基に提言する書。
【目次】
第1章 ロスト・イン・トランスレーション
第2章 ふたつの情動――MINE型とOURS型
第3章 子どもの育てかた
第4章 「正しい」情動と「間違った」情動
第5章 絆を結ぶ、快く感じる
第6章 情動を表わす言葉の多様性
第7章 ワルツを学ぶ
第8章 多文化社会を生きるための情動理解
MINE型情動とOURS型情動
本書を理解する上で欠かせない概念が、「第2章 ふたつの情動――MINE型とOURS型」です。MINE型情動モデルとは、「心に関する(Mental)」「個人の内部に存在する(Inside the person)」「本質主義的な(Essentialist)」情動モデルを意味し、WEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democratic)文化圏で流布しているとしています。一方、OURS型情動モデルとは、「個人の外部に存在する(Outside the person)」「人間関係的な(Relational)」「状況に規定された(Situated)」情動モデルを意味し、非WEIRD文化圏、かつ歴史的に流布している/してきたとしています。
簡単に言えば、情動の発生を自身に置くか、人と人に間に置くか、という感じになるでしょう。
MINE型文化圏の人々は、次のような特徴があるとされています。
・身体の変化に基づき自己の感情を特定
・個人の相貌から情動を判断しようとする
・快く感じることは健康の証と考える
・情動は表現するもの、状況を引き受けるもの
・情動の抑制はあまり見られず、心や人間関係に有害な作用を及ぼす
OURS型文化圏の人々は、次のような特徴があるとされています。
・人と人のあいだで起こっている出来事から情動を推測
・居合わせている人々全員の顔から情動を判断し、相貌から行動を推測する
・健康より建設的な活動を重視
・情動は当面の状況の要請に合わせた行為として顕現
もちろん、WEIRD文化圏でもOURS型情動モデルに当てはまることもあれば、非WEIRD文化圏でもMINE型情動モデルに当てはまることもあると筆者は留意します。
日本人とアメリカ人の典型的な怒りシナリオの違い
具体的な感情を基に考えるとよりコントラストがはっきりします。「第4章 「正しい」情動と「間違った」情動」から怒りエピソードについて紹介します。
日本人の典型的な怒りシナリオを筆者はこう説明します。
「私はあの人から不当な扱いを受けたと感じて自分を守ろうとしたが、人間関係が損なわれることを避けるために、利己的な行動や幼稚な行動をしないよう心掛けた。そして相手の視点を理解しようと試み、自分にも誤りがあれば謝るし、そうでなければ何もしない」(引用p.147)。
アメリカ人の典型的な怒りシナリオを筆者はこう説明します。
「私はあの人から不当な扱いを受けたと感じた。そして<こんなひどい扱いを受けるいわれなどない><もっとまともな扱いができなかったのか><黙って屈辱に耐えるつもりはない>と怒った」、もしくは「こんな明らかに間違った扱いをするなんてあの人は頭がおかしいのではないか。もしかすると邪な企みを隠しているのかも知れない。あるいはもともとそんな人なのかも知れない」(引用p.147)。
筆者は、「日本人の怒りとアメリカ人の怒りは、同じ情動なのか?」と投げかけます。そして、OURS型情動モデルの視点に立てば、いかなる怒りも他の怒りとまったく同じとは見なせない。日本人とアメリカ人の怒りは、誰かから不当な扱いを受けたことに起因し、怒りの経験と呼ばれている点では一致する。しかし、情動を安定した心の状態としてとらえない限り妥当性を失う、と説明します。
「情動は世界共通ではない」とは、どういう意味か?
本書を理解する上での肝は、冒頭に書いた、「情動の発生やとらえかたは文化によって異なる」という箇所、また、今書いた「日本人とアメリカ人の怒りは、誰かから不当な扱いを受けたことに起因し、怒りの経験と呼ばれている点では一致する」と考えます。
筆者の述べる「情動は、世界共通ではなく、文化によって異なる」というのは、「ある情動が発生する原因が異なり得、異なるプロセスを経て、異なる行動・帰結となり得る」ということだと思います。抽象レベルにおける情動のテーマ、怒りで言うところの「不当な扱いを受けたこと」は世界共通だと、私の理解、そして私が知る限りの知見では、そう考えます。
また、筆者は、「表情に万国共通のマーカーはない」と述べますが、これは、ある出来事に対してある情動が発生し、それが最初は怒りであったとしても、文化的な思考が働き、情動が変遷することで、様々な表情になり得るために、「表情に世界共通のマーカーはない」としているのではないかと私は捉えます。その証拠に、本書で指摘される、「表情に万国共通のマーカーはない」とする根拠は明確には思えず、生物学的な共通基盤から発生し得る情動―例えば、物理的な攻撃を加えられる、腐ったものを食べる、死を感じる―が全くと言ってよいほど語られません。文化をテーマにしているからなのでしょうが、情動・表情が万国共通ではない、とする書き方は、誤解を与えかねないと思います。
いくつか批判も指摘しましたが、総体的に本書は良書です。異なる文化圏に属する方々だけでなく、他者を理解する上で、とてもよい本だと思います。本書を読むことで、目の前の人が、怒り、嫌悪し、悲しむとき、これらの原因や相手が求めている行動を早合点せずに、熟慮・解釈しようと意識できるようになると思うからです。情動に関心のある方は、本書を本棚に置き、何度も読み返すだけの価値があると思います。
以上のように清水がリアルタイムで読む本について、「もっと知りたい」「語り合いたい」と思う方は、2024年10月12日 (土) 開講の「表情・しぐさ分析総合コース」にお越しください。詳細・お申込みは、次のリンクからお願いします。
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清水建二