微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

20230417岸田文雄首相襲撃事件に思うこと

和歌山市雑賀崎(さいかざき)漁港を応援演説に訪れていた岸田文雄首相に爆発物が投げつけられた事件。警察官一人と聴衆の方一人が怪我をされたようですが、岸首相はじめ、その他の聴衆に負傷者は出なかったようです。しかし、ニュース映像を観ると、爆発物は首相のすぐ後ろに投げ込まれているのがわかります。時間差で爆発したため大事には至らなかったものの、投げ込まれた瞬間に爆発していたら、大惨事になっていたかも知れません。

 

昨年7月、奈良市で安倍元首相が銃撃死して以降、警護体制が見直されたものの、今回の事件を防ぐことは難しかったようです。防護版や金属探知機、持ち物検査など、物理的な「壁」の活用方法を再考することはもちろんですが、警備・警護にあたる警察官の観察力を向上させることにも注力すべきではないかと考えます。

 

なぜなら、物理的な「壁」の徹底を推進し、頼りきってしまう、あるいは、安心してしまうことで、生身の人間の注意力や観察力が低下し、その「壁」をすり抜ける危機に敏感に反応できなくなってしまうのではないか、そんな危惧を感じるからです。

 

私は表情分析の専門家として、様々な職種の方々に、微表情を生身の目で検知できるようにするスキルを教えています。微表情とは、抑制しきれない感情が、瞬間的に顔に表れる表情のことをいいます。0.5秒ほどの現象であることが確認されています。

 

微表情を検知することが出来れば、抑制された幸福・軽蔑・嫌悪・怒り・悲しみ・驚き・恐怖表情をはじめ、危険表情といい、暴力行為を計画・実行しようとしている段階の表情を検知することが出来ます(具体的な危険表情については、過去記事を参照して下さいhttps://toyokeizai.net/articles/-/603239)。

 

微表情は、専門的なトレーニングを積まない限り、意識的に捉えることは出来ません。しかし、微表情を検知することに特化したツールを用いることで、1時間のトレーニングで、微表情検知正答率が40%(事前テストの成績)から80%(事後テストの成績)にまで向上することがわかっています。またトレーニング実施後、微表情検知トレーニングを2~3週間していなくても、その精度は持続されることがわかっています(Matsumoto & Hwang, 2011)。

 

さらに、レーニングを経験していない状態でも、「よく観察しよう」という動機を高めるだけで、微表情の存在に身体が反応するという実験結果が報告されています(Svetievaら, 2016)。具体的には、微表情が目の前に表れるとき、意識的には微表情の存在に気づけなくとも、皮膚の電気伝導度が変わる。つまり、無意識的に身体は微表情を感じている、ということがわかっています。

 

このように微表情検知トレーニングは、隠された感情や悪意を検知する手法として、比較的短い時間で習得でき、警備・警護の一手段として活かすことが出来る可能性があります。

 

一方、警備・警護に微表情を活かすうえで、弱点を知っておくことも大切です。2010年に発表されたレポートによると(Weinbergerら, 2010)、アメリカでは、161の空港で勤務する3,000人以上の警備職員が、微表情検知を含む乗客の異常行動を検知するプログラムを受けているとのことです。

 

このプログラムを受けた職員が、2006年1月から2009年11月にかけて最初のスクリーニングをパスさせず、第二スクリーニングに回すと判断した乗客の数は、232,000人おり、そのうち実際に逮捕された乗客の数は、1,710人であったことがわかっています。逮捕に至っていない乗客を、無実の者と仮定すると、職員が「おかしい」と判断した乗客の約0.7%だけが、真の犯罪者だったということになります。

 

空港にいるテロリストや犯罪者、悪意を持つ人物といった検知対象者は、何の問題もない普通の乗客に比べ極少数であるため、100%の検知ツールでない以上、誤検知は多く出てしまうという問題を避けることは出来ません。同様の問題は、がん検診やドーピング検査でもよく知られ、検知しようとする対象者が少ないとどうしても起きてしまいます。

 

例えば、首相の演説会場に10,000人の聴衆が集まったとします。その中で首相を襲撃しようと企む犯罪者が10人いるとします。この犯罪者を捕まえるために、危険表情検知率90%を誇る警備・警護職員が会場の入場ゲートにいるとします。この職員は、危険表情を90%の精度で正しく検知し、危険表情の有無を10%の精度で間違えるとします。果たして、入場ゲートで何人の犯罪者を捕まえることが出来るでしょうか。

 

正解は、9人の犯罪者を捕まえることが出来ます。しかし、悪意のない普通の聴衆を間違えて、999人捕まえてしまうことになります。確率を計算すると次のようになります。

 

9,990人(普通の聴衆)+10人(犯罪者)=10,000人

危険表情なしと判定される普通の聴衆➡9,990人×0.9=8,991人

危険表情なしと判定される犯罪者➡10人×0.1=1人

危険表情ありと判定される普通の聴衆➡9,990人×0.1=999人

危険表情ありと判定される犯罪者➡10人×0.9=9人

 

職員が「おかしい」と検知した聴衆の約0.9%(9/1,008人) だけが、真の犯罪者だったということになります。

 

微表情を検知するスキルは、目の前にいる特定人物の抑制された感情変化を精緻に捉えられる状況-警察業務ならば、取調べ-において使い勝手がよいのですが、警備・警護のような場面では、誤検知の多さという弱点を伴います。誤検知された普通の人が被るコストと、犯罪者を捕まえ、大惨事を防止するというベネフィットをどう考え、比べるべきでしょうか。

 

警備・警護に微表情検知トレーニングを導入するにしても、しないにしても、物理的な「壁」に頼り過ぎることなく、違和感に反応しようとする身体の潜在力を高めようとする意識が重要だと思います。


参考web
https://hbol.jp/pc/205529/ 
https://toyokeizai.net/articles/-/603239

 

参考文献
Matsumoto, D., & Hwang, H. S. (2011). Evidence for training the ability to read microexpressions of emotion. Motivation and Emotion, 35(2), 181–191. https://doi.org/10.1007/s11031-011-9212-2
Svetieva, Elena & Frank, Mark. (2016). Seeing the Unseen: Evidence for Indirect Recognition of Brief, Concealed Emotion. SSRN Electronic Journal. 10.2139/ssrn.2882197.
Weinberger S. (2010). Airport security: Intent to deceive?. Nature, 465(7297), 412–415. https://doi.org/10.1038/465412a

 


清水建二