微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

新時代のウソ検知の科学⑨―文化間のウソ①

 

これまでのウソ検知研究の中でそんなにスポットが当てられなかった領域があります。それは、文化間に関わるウソです。

 

ある文化に属する人が、他の文化に属する人のウソを検知しようとするときに、何を気を付けるべきで、どんな問題が想定され、ウソ検知の精度はどれほどなのか、実はこれまでそんなに研究が進んでいないのです。

 

なぜ文化間に関わるウソについて研究が進められてこなかったのかについて、一言では語れませんが、ウソ検知研究において前提とされている考え方があります。

 

それは、普遍的サイン説というものです。これは、文化、時代、年齢、性別問わず、ウソのサインは万国共通だと考える説です。一方、文化的に異なるウソのサインがあるのではないかと考える説を、特定差異説と言います。

 

確かに、ウソをつくときに生じる感情が表情に表れるとき、その表情の動きは万国共通です。また、ウソをつくときに感じる認知的な負担も、どこの文化に属していようと、人はその負担を感じます。そのときに生じる認知的な負担を示す顔の動きも万国共通です。

 

こうした意味で、普遍的サイン説にうなずけるところは大いにあるのですが、どんなウソに、誰に対するウソに、どんな感情が感じられ、認知的な負担を感じるのかに関しては、万国共通であると結論付ける根拠はないのです。

 

例えば、スパイが良い例です。スパイが他国につくウソは、自国の利益につながる行為です。そうすると、スパイは他国の人物にウソをついてもその罪悪感を感じることはないでしょう。

 

またウソを検知する側の問題もあります。ある文化特有のボディーランゲージをそのボディーランゲージに馴染みのない文化に属する人は、奇妙なボディーランゲージだと解釈し、それをウソのサインと考えてしまうかも知れません。

 

したがって、特定差異説に基づいて文化間に関わるウソを考える必要があるのです。来週のブログでは、文化間のウソに関してどんな研究がなされているかご紹介します。

 

 

清水建二