微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

専門家の萌芽

 先日、ある講義の最終回で受講生の方が、講義の感想として次のような旨のことをおっしゃいました。

 

「講義を通じて論文を読み重ねるうちに、課題となっている論文のイントロダクションを読んだとき、『あ、この論文は読んだ』『この論文も読んだ』となり、知識が深まっていくのを感じました」。

 

とても嬉しい感想です。

 

 仮説検証型の学術論文は、イントロダクション、方法論、結果、考察の4つのパートから構成されています。それぞれのパートで書かれていることは次の通りです。

 

イントロダクション…先行研究でわかっていることが書かれています。裏を返せば、先行研究を調べ尽くしてもわかっていないことが書かれているわけです。これが研究目的となり、仮説が生成されます。

方法論…実験の方法、つまり、どんな方法、材料、手順によって仮説を検証するのかが書かれています。

結果…統計分析の結果、有意か否か、仮説が支持されたか否かが書かれています。

考察…統計分析の結果の解釈が書かれています。イントロダクションで紹介した先行研究の枠組みからなされ、既存の知見から説明可能か、説明できない結果だとしたら、何が原因だと考えられるかが考察されています。

 

 初めて手にした論文のイントロダクションを読むとき、「あ、この論文は読んだ」「この論文も読んだ」と言えるということは、「先行研究でわかっていること」をわかっている、ということを意味します。これは専門家と非専門家を分かつ一つの指標です。大切なことは、単に知識が豊富なことなのではなく、自身が専門に学ぶ分野において、わかっていることとわかっていないことを区別できるようになることです。それが明確であればあるほど、知識が専門家レベルに接近することを意味しています。

 

 ですので一見、逆説的ですが、専門分野について質問を受けたとき、「わからない」と言えることーこれだけ先行研究を読んでいる私がわからないのなら、おそらくまだ誰も研究していないはず、という自信ーが専門家の証とさへ言えるかも知れません。

 

 一方、こんなこともありました。ある懇親会に参加した際、隣の席に某性格分類法について5年以上勉強しているAさんという方がいらっしゃいました。

 

Aさん:「この性格分類法では、生涯変わらない人の性格を計測することが出来ます。3歳くらいから計測できます」。

私:「性格は遺伝と環境で形づくられ、変わることもあり得ると私は理解しています。生涯変わらないということは、性格ではなく遺伝のようなものを計測しているのですか?」

Aさん:「わかりません。私の先生に聞いて下さい」。

私:「その分類法について論文はありますか?」

Aさん:「わかりません。私の先生に聞いて下さい」。

 

 後日調べてみたところ、この分類法に関する学術論文があることがわかりました。Aさんにとってこの分類法は、ご自身の生き方や他者との付き合い方に大きな影響を及ぼしている方法のようでした。そうであればこそ、先生の言うことや先生の著作を大切にしつつも、それら原典をたどる必要があるのではないかと私には思われました(Aさんには論文についてしか尋ねていませんので、本については先生の著作以外も読んでいたかも知れません)。

 

 先生の言うことはもちろん大切です。疑問を抱かず、純粋に吸収し続ける時期は必要です。しかし、一定期間の学びを経たならば、自身で論文や先生以外が書いた著作を読み、「先生の考えや依拠する理論の理解を深める」「先生の言うことを批判的に検討してみる」というステップに踏み出すべきだと私は考えます。このステップを経ることで初級者から中級者、上級者となり、知見の既知と未知を区別できる専門家の領域に足を踏み入れることが出来るようになるのだと思います。

 

 自身の学びが科学知見に依拠し、高みを目指したいのならば、学術論文を読みましょう。現象の解像度がグッと上がります。そして、解像度が高ければ高いほど、現実世界の問題は、触れたときによりリアルな質感をもった肌触りとして帯びてくるのです。

 

 

追伸:本ブログを書いていて、大学受験予備校でお世話になった英文速読の横山雅彦先生の言葉が思い出されました。「究極の速読は、知っていること」。横山先生ご自身が学生時代のとき、師匠である小浪先生の論文読解スピードに驚かされたエピソードを紹介された際の言葉です。大学受験生当時は「そんなこと出来るの?」と思っていましたが、今ならよくわかります。先を見越したアドバイスに感謝です。

 


清水建二