微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

想いと命の連鎖

2020年8月13日(木)放送のNHKおはよう日本」で、私の母が偶然見ていたニュースの特集「”史上最悪”インパール作戦 100歳元日本兵の証言」(7時17分頃)を見るように知らせてくれました。

 

私もそのニュースを見て観ました。

 

日本兵、現在、新潟県村上市にお住いの佐藤哲雄さん、100歳。

第二次世界大戦中のインパール作戦での出来事を証言されていました。

 

日本兵の多くが敵の攻撃よりも栄養失調やマラリアで命を落とし、ご自身も銃弾を受け、酷い怪我を負った様子を語られていました。利他的な気持ちが失われ、人が人でなくなり、飢えや精神的な苦しみから解放されるため、自害した方もおられたようです。

 

そんな中、佐藤さんはある言葉が戦地で大きな支えとなり、どんなことがあろうと「生きねばならない」と思われたそうです。

 

その言葉とは、

 

「戦地に行っても死ぬばかりが国のためじゃない。生きて帰ってきて日本のために働け。」(7時23分)

 

出征前の上官である三田清四郎(三田:サンタ)少佐の言葉です。

 

佐藤さんは、この言葉を糧に、終戦まで2年にわたりビルマの戦場を逃げ続け、生き延びることが出来たとのことです。

立派に死ぬことが当たり前だとされていた時代において、上官の言葉がなければ「生きねば」という考えはおきなかっただろうと、戦況が悪化していく中でその言葉の重みを感じられたそうです。

 

佐藤さんは、帰国後も三田少佐の言葉が頭から離れず、林業などで生計を立て、終戦から75年、現在、多くの孫とひ孫に囲まれ、戦争のない平和な暮らしを実感しておられるそうです。

 

この佐藤さんの元上官、三田清四郎少佐とは、私の曾祖父です。

 

私は、自身の曾祖父に会ったことはありません。戦争に関わるこうした話もほとんど聞いたことがありません。しかし、母が偶然見たテレビの特集から曾祖父の過去を知ることが出来ました。自身の祖先が残した言葉、想いが佐藤さんの人生に大きな影響を与え、命がつながったことを知りました。曾祖父を誇りに思います。

 

自分が発する言葉、想いが、廻り巡って周りの方々にどんな影響を及ぼし得るのか。

 

人に教授する仕事を多くする私にとって、改めて、気を引き締め、不動の心を持ち、適切な言葉遣いと誤解されない伝え方を工夫し、これからも誠実にコンテンツを発信していこうと思いました。

 

 

追伸:

現在、防衛省で教えるようになって4年。新潟県村上市には私が教えているお客さんがいます。ご縁なのですね。きっと。

 

追記情報(2020年8月15日):

放送のアーカイブです。

www.nhk.or.jp

 

 

清水建二