本日は本書を読んだ感想や本書から得た着想を私の専門分野に寄せて書きたいと思う。
今この記事を、「ぼーっとしながら考えて」、書いている。
人工知能が私たちの働き方を変える、好んでも好まなくても、大きな影響を与えていく。
人工知能の進歩に目をつぶるのではなく、おっかなびっくりでも近づいてみる、手垢をつけてみる。
人間がやりたくないこと、苦手なことを人工知能に任せてしまい、私たち人間はやりたいことをやる、ググっても出てこない世界の姿を構築していく。
そんなことが本書を読んでいて浮かんできた。様々な書籍は知識を提供してくれるが、本書は創造力を提供してくれる。自分がいる世界が現在どんなスキルが必要とされていて、将来どんなことを人工知能が代行してくれ、その余った人間力をどこに傾注していくか、本書はそうしたことを様々な職務について具体的な提案を交えてファシリテートしてくれる。
そうなると自動的に表情分析の専門家である私の仕事の3年後を考えたくなる。表情分析を代行してくれるAIはすでにいくつかのメーカーから発売されており、性能向上のために日夜、研究開発が進められている。
表情分析代行のAI、正式には感情認識AIと言うのだが、私が何時間もかけて行う表情の分析をリアルタイムでやってのけてしまう。この人の怒り度合いは何%とか喜び度合いは何%とか、すぐ検出してくれる。まぁ、まだ精度は粗いし、複合的な顔の動きなんかは誤読しているけど。まぁまぁ、この粗さもいずれ解消されるかも知れない。
でも全然出来ないこと。それは、
なぜその表情をしているのかってこと。言い方を変えると、なぜその人はその感情を抱いているかってこと。営業マンの話を聞いているお客さんの顔に嫌悪の表情が浮かぶ。それは営業マンの話が気に入らないのか、お客さん自身に向けている自己嫌悪なのか、たまたまお昼に食べた脂っこいものが出てきて気持ち悪くなっただけなのか、鼻水をすするクセなのか…人間なら想像して推測できるけど、まだ感情認識AIは出来ない。
それは私たち人間、すなわちユーザーが感情認識AIを使う状況を設定してあげること、どんな場面でいつ使うのかを決めてあげることで、感情の源、つまり、なぜその感情を抱いているのかがある程度わかるようになるだろう。
そしてその感情データを何に使うのか?どう利用すべきなのかも人間の考える領域になるだろう。
いや、もしかするとある状況の中の感情やデータから何が言えるのかも、丹念に人間側が学ばせれば、感情認識AIは将来そうしたこと全てができるようになるのかも知れない。
…。
それでも、やっぱりどんなふうに使うべきかは人間の側が決めるんだと思うし、決めなくてはいけないのだと思う。
感情認識AIの応用例に、私たちの感情の状態に合わせて音楽や照明が変化するエンタメ的な装置がすでに存在している。
これを例えばライブ会場で使えば、観客の感情によって会場の雰囲気が変わるし、それに連動してアーティストの曲やパフォーマンスが変わる仕組みがあったら面白いかも知れない。
あるいはこんなのはどうだろうか?
カップルがレストランにデートに来る。個室に通される。カップルの感情の変化に応じて照明が緩やかに変わる(男性側・女性側だけにこの仕掛けを教えておくのもありかも知れない笑)。ロマンチックな曲が流れたり、曲のリズムが変わる。カップルの表情から相性度、例えば、一定時間以上の感情の共感度が続いたらベストカップルとして割引きサービスをするというのも良いかも知れない。
感情や表情という現象を身体感覚で知っている私たちだからこそ、最適な感情認識AIの使いどころがどんどん思いつくような気がする。今の私は表情分析官とか表情アナリストとか、微表情研究者なんて肩書だけど、数年後には感情メディアクリエーターなんてのに(何かすでにありそうな肩書だけど)変わっているかも知れない。
いずれにせよAIによって感情の楽しみ方が変わるかも知れない。とても楽しみだ。
2020年以降、他に私にはどんなことができるだろう?
これまで効率の名の下に軽視されていた人間本来の温かみのある感情コミュニケーションのあり方や心の問題を私たちの身体を通じて考え、ファシリテートするような仕事が増えるのだろうか?
様々な職場を観察していると、みな仕事上の重要な情報を感情を交えず必要最低限の言葉で話している。時間にせかされ、相手の話が終わる前から自分の言葉を発し始める。相手の表情を観ている暇などないのでPCやスマホを見ながら、会話をする…etc
そんなところに感情認識AIに限らず、人工知能が私たちの作業効率を上げるための仕事を代行してくれれば、もっと創造力や対話が必要な仕事に私たちはシフトし、スローコミュニケーション、ゆとりのある会話、無駄話なんかも出来る時代が来るのかも知れない。
人工知能移行期は、混乱するかも知れない。また効率的に会話をすることに慣れてしまった私たちは感情的な会話がもう上手く出来なくなってしまっているのかも知れない。
そこに私が割って入って感情の扱い方や感情を誘発するような体制づくりをファシリテートしていく活動なんかはどうだろうか?
本書を読みながらも、そして本書の読後も、こんなまとまりのないことを、ぼーっとしながら考えている。しばらくこの余韻を楽しみながら、これからの感情世界の彩を考えていきたいと思う。
ところで、りんな、君は笑うの?
清水建二