微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

表情筋の動きが違うのではなく、そのコントロールの仕方が違うのです

 

私が様々なセミナーで表情が万国共通と紹介させて頂くと多くの場合、

 

「アメリカ人の表情と日本人の表情が同じとは到底思えないのですが…。」

 

という疑問を頂きます。

 

この質問に対する解答の一つとして、表示規則という概念からご説明することがあります。表示規則とは、集団の中で適切に暮らすために必要な暗黙的な表情コントロールのルールのことを言います。例えば、アメリカは集団の考えに自分を合わせるよりも個人の考えに重きをおく個人主義的な文化圏です。したがって、ある感情を抱いたらそれを抑えるよりもストレートに表情に表わした方が良しとされます。一方で、日本は個人よりも集団の和に重きをおく集団主義的な文化圏です。したがって、自分のストレートな感情があったとしても集団の和を崩さないように表情を調整して顔に表わした方が良しとされます。

 

この表情コントロールの違いは、1972年に実証されています。ネガティブな感情が想起されるような映像をアメリカ人と日本人それぞれに一人で観てもらいます。その映像を一人で観ているとき、両者の顔からは同じ表情筋の動きを伴った嫌悪表情が観察されました(隠しカメラが設置されており、その映像をもとに各々の表情が分析されました)。次に映像を観るときに研究者が同席します。そうするとアメリカ人の顔からは変わらず嫌悪表情が観察されたものの、日本人の顔からは「幸福」表情が観察されました。その理由が先の個人主義集団主義的傾向の差であり、日本人はネガティブな表情を同席している研究者に見せるのはよくないと感じるということです。

 

この研究は文化間研究かつ、ネガティブ表情が抑制されたことを示すものですが、文化内研究かつポジティブ感情を対象にした興味深い研究もあります。個人主義的傾向を持つヨーロッパ系アメリカ人女性と集団主義的傾向を持つヨーロッパ系アメリカ人女性とを比べると、集団主義傾向を持つアメリカ人女性は、他者が同席しているとポジティブな感情を抱いていても、その感情を抑制して顔に表す傾向にあることがわかりました。一見、集団の和を保つということを重視する集団主義的な傾向を持つ人にとっては、ポジティブ表情をより強く表出した方が良さそうです。しかし、それをやりすぎてしまうと逆にわざとらしく思われ具合が悪い。もしくは、自分が置かれている状況が自由奔放に笑うことを良しとしている状況かわからない。したがって、ポジティブな感情でも周りの様子を見ながらコントロールするのだと思います。

 

この集団主義的感情コントロールを私たちの身近な例で考えてみましょう。例えば招待された食事会で、美味しくない食事を口にしても、嫌悪感情は顔に出さないようにニッコリ笑って「とても美味しいですね。」と言うと思います。これはネガティブ感情の抑制です。ポジティブ感情も日々、何気に抑制していると思います。例えば、映画館で映画を見ているとき、自分にとってはツボで、大笑いしたくなるときありませんか?そこで本当に大爆笑しますでしょうか?大抵、周りが誰も笑っていなかったら笑いをこらえると思います。

 

このようにネガティブ・ポジティブ感情問わず、集団主義的傾向の人々やその傾向の強い私たち日本人は本当の感情を集団の和を乱さないように抑制する傾向にあります。しかし詳細に表情を分析すると、本当の感情の痕跡がそれを示す表情筋の動きとして、誰の顔にも同じように(その動きは微細かも知れませんが)示されるのです。また誰にも気兼ねする必要がなければ、同じ感情には同じ表情として誰の顔にも表れるのです。そう、だからやはり、感情に連動する表情筋の動きは万国共通なのです。

 

 

清水建二

参考文献

Matsumoto, D. (2008). Emotion and facial expressions of emotion. In Guerrero, L. K., & Hecht, M. L. The nonverbal communication reader: Classic and contemporary readings (3rd ed.) (pp. 411-420). Prospect Heights, IL: Waveland Press.