微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

嫌悪と軽蔑を頻繁かつ同時に抱く人は、生きづらい?

 

感情と健康に関わる研究は数多ありますが、本日はそうした先行研究の結果からわかっていることではなく、私の日々の観察から感じていることを書かせて頂こうと思います。

 

以前にこのブログで、精神疾患とその表情について書かせて頂いたことがあります。それは精神疾患にかかっている人がどのような表情を見せるか、というものでした。また、うつ病患者にネガティブな感情を感じさせないようにそれらの感情に関わる表情筋にボトックスを打つことで病状が改善する、というお話も書かせて頂いたと思います。

 

これらの研究は、すでに病気の人はどうであるか・すでに病気の人をどうするか、という問題を扱っています。感情と病気に関する諸研究のアプローチは基本的にこのパターンです。

 

私が考えたいアプローチは、将来、精神疾患になりやすい表情のパターンはあるのか、ということです。表情ではなく、遺伝や生活環境などで予想でき得る研究はあるようですが、私はやっぱり表情に興味があるわけです。なぜなら相手を観察するだけで、相手の危険信号がわかれば素敵なことだと思うからです。

 

さて、ここからが直感的なお話です。

 

嫌悪と軽蔑を頻繁かつ同時に抱く人は、生きづらい?もっと言えば、精神疾患にかかりやすいのではないだろうか?ということです。嫌悪は拒絶です。自分にとって有害なものを受け入れたくないという感情です。軽蔑は優越感です。自分は他者より優れているという感情です。

 

嫌悪と軽蔑は私たちが自尊心を保つ上でなくてはならない感情ですが、それが環境との相互作用で精神に問題を引き起こすのではないかと私は思っています。具体的には、主に能力の有無にかかわるのではないかと。

 

例えば、職場で真に能力がある人が、嫌悪や軽蔑を抱き、人の考えを聞かず、仕事を自分の考えるように進めるとします。自分勝手な人ですが、その能力ゆえ、仕事の成果は高く、周りからの評価も高いです。ワンマン社長に多いような気がします。この場合、特に問題ない気がします。周りも「あの人は、ワンマンだけど成果出すから、あの人の意見は聞く価値あるな。」と思うわけです。

 

しかし、能力がない人が、嫌悪や軽蔑を抱き続けると精神に異常をきたすのではないかと思います。自分の意見と周りの意見が異なる場合、嫌悪と軽蔑を感じます。しかし、自分の意見は尊重されません。聞き入れてもらえません。そうすると意に反した他人の意見に沿って、自らの仕事や行動パターンを変えなくてはいけないのです。これは大きなストレスになるでしょう。このストレスが積もり積もれば、精神疾患につながるのではないか、そんなふうに感じています。

 

ずいぶん前に働いていたアルバイト先の社員さんの話ですが、その方が、他者に指示やアドバイスをされているとき、本当によく嫌悪と軽蔑を同時に浮かべていました。本当に仕事を嫌々やっているんだな、大きなストレスを抱えてるのだなと、傍から見ていて感じていました。私がそのアルバイトを辞めた後、その方は精神疾患を患い、2年以上休職していたという話です。

 

能力の発揮のしやすさや何が能力かについては、環境によって変わるため一概には決められません。さらに今回の私の話はあくまでも直観です。ただし、しっかり調査できれば、表情が精神疾患のサインとして予防に寄与するかも知れません。そんなふうに思っています。

 

 

清水建二