ウソという現象を扱う前に、ウソとは何か、をしっかり知っておく必要があります。
有名なウソの定義として、次のようなものがあります。
ウソとは…
「事前にダマすという通告を与えずに、相手に誤認識を意図的に与える行為(Ekman, 1985/2001)」
このことからわかるように、
誰かが意図せずして正しくない情報を人に与えてしまうことはウソではありません。
(勘違い、記憶違い、という現象がこれにあたりましょう。)
前から約束していたことが、突然のアクシデントにより実行できなくなっても、ウソをついたことにはなりません。
(パパと子どもの遊園地に行く約束、デートの約束によくあることかも知れません。)
演じる行為が前提されている場合もウソにはなりません。
(マジシャン、役者さんの仕事がこれにあたるでしょう。)
つまり、ウソが成立するには、騙す側に意図があり、その意図を相手に伝えないでおく状態が必要となります。
この定義に沿っても必ずしも全てのウソが深刻な事態をもたらすわけではありません。例えば、イケてない同僚の服装を褒めたり、具合が良くないのに具合が良いフリをしたり、美味しくない料理にお世辞を言ったりする、そんな日常的なウソがあります。これは「社会的なウソ」「白いウソ」と呼ばれ、コミュニケーションの潤滑油とでも形容できるでしょう。本シリーズで扱うウソはこの「社会的なウソ」ではなく、犯罪にもなり得るような深刻なウソを扱います。
さて、ウソをもう少し細分化してみます。ウソは、偽装、歪曲、隠蔽に区別することが出来ます。偽装とは、話されている全ての内容が、真実と矛盾しているか、でっち上げられている、完全なる虚偽、のことを言います。歪曲とは、ウソつきが与えたい誤解を相手の信念に生み出すために、真実を改変することを言います。このカテゴリーには、物事を過大もしくは過小に伝えることも含まれます。隠蔽とは、ウソつきが、「知らない」とか「覚えていない」と証言することで、事実を隠すことを言います。
ウソの定義とタイプを理解しておくことで、相手が本当にウソをつこうとしているのか否かを推定するのに役立つでしょう。
ところで、私たちはウソを見抜こうとするとき、なぜボディーランゲージを始めとした非言語情報を頼りにするのでしょうか?逆に言った方が適切でしょうか。なぜボディーランゲージに違和感を感じたとき、相手がウソをついている、と思うのでしょうか?
これが、次回のテーマです。
清水建二
参考文献
Ekman, P. (1985). Telling lies: Clues to deceit in the marketplace, marriage, and politics. New York: Norton.