今回は、少し私のお話をさせて頂こうと思います。
私は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府というところに入院(※)していました。
ここは、メディア論やコミュニケーション学を中心とした学問横断的な大学院でした。私の研究テーマは、
の解明でした。
なぜ集団が同じ目的を持って、暴力行為に走れるのだろうか?
どのように暴徒が形成されるのだろうか?
集団間でどんなコミュニケーションがなされ、暴動行為が維持されるのだろうか?
誰が、何が、どんなことがきっかけで実際の集団暴力が始まるのだろうか?
そんなことを研究していました。
顔は?
そうです。顔ですね。表情と暴動がどう関係あるのか?ですよね。
表情に対する興味は大学院以前からありましたが、学問的につながったのは大学院からです。
コミュニケーションにおいて情報というのは「送り手」から「受け手」に小包のように送り届けられるのではなく、様々な変形を経て、相手に届きます。つまり「送り手」のオリジナル情報が幾分か変形して「受け手」に届くのですね。
この変形の要因の一つとして非言語情報があります。この非言語情報(いわゆるボディー・ランゲージです)の重要性に注目したことから、私の表情研究が始まりました。
実はインドにおけるヒンドゥー・ムスリム間暴動は、発生場所も時期も大きな偏りがあり、多くは計画的なものです。
多くの暴動の発生前には、宗教的なイベントが開催されており、その主導者らが宗教的メッセージを込めたスピーチをしているのです。
このイベントやスピーチは暴動発生や暴徒の規模と関わっているのだろうか?
そうだとしたらどんなふうに主導者らのメッセージが集団に伝わり、それが集団暴力につながるのだろうか?
と思うようになりました。
そこで情報の伝わり方や集団間コミュニケーションのメカニズムなどを学び始めたのですが、研究を始めて1年でこれまでのアプローチを放棄しなくてはならない事態となりました。
それはどんな事態かと言いますと…次回に続きます。
(続く)
清水建二
※「入院」という言葉に違和感を覚えますでしょうか?大学院というところは、院ですから、入学ではなく、入院と言います。さらに大学院で研究し続けると、病的になる=一種の病人になるという揶揄が込められており、大学院=病院という構図からそう呼ばれているのです。私にはリアルに感じられ怖いです。