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微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

儀礼としてのボディーランゲージ①

 

某テレビ局の依頼である人物の表情分析をさせて頂きました。

理由あってその分析の様子は放映されず、お蔵入りしてしまいました。

 

その表情分析なのですが、非常に興味深いものでした。

 

分析したのは警察車両に載せられている人物の表情なのですが、その表情が普通のものとは違うのです。普通、警察車両に載せられている犯罪容疑者の表情は、恥、羞恥心、罪悪感、怒り、嫌悪などが多くを占めています。しかし私が分析した人物の表情は、そのどれでもないものでした。

 

表情の詳細は書けませんが、警察車両に載せられているその人物の表情は、その人物が逮捕のずっと前に、ある状況下で撮影されたときにポーズしていた表情と同じだったのです。

 

逮捕時の表情=ある状況下で撮影されたときの表情

 

その状況も詳しく書けないのですが、簡単に言うと、「イケている自分になれると自分で思っている表情」だったのです。

 

そのある状況で、その表情をすると自分はイケている、だから、警察に逮捕されるという窮地に落ちたときに、そのイケている自分になれる表情をした、そんな分析を私はしました。

 

しかし、「イケてる自分になれる表情」というものは、万国共通の表情でもなければ、FACSで定式化できる表情でもありません。

 

どういうことかと言うと、その人物が、あるとき「ピンチ」になった。偶然、その表情をしたら、偶然、そのピンチを切り抜けられた、だからピンチに陥ったり、イケてる自分になりたいときは、その表情をとるようになった、そしてそれが儀式化した、と私は考えています(正確を期して言いますと、私のこの説は科学的にはまだ検証されておりません)。

 

その人物の表情、儀式化された表情は、かなり特徴的で、私がこれまで観察してきた警察車両の中の人物の表情の中では唯一のものでした。結論的に、私がその人物の表情のみから推論したことは、

 

「この人物は、自分が何やらピンチに陥っている自覚はあるようですが、自分の犯した罪の大きさには無自覚の可能性が高いでしょう。」

 

というものでした。

 

このテーマ、まだ引っ張ります。

次週は、儀礼としてのボディーランゲージを身近な例から考えたいと思います。

 

 

清水建二