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微表情

フラッシュのように一瞬で表れては消え去る微妙な表情、微表情。このブログでは、微表情、表情、顔を始めとした非言語コミュニケーションの研究や実例から「空気を読む」を科学します、「空気」に色をつけていきます。

メディア論・コミュニケーション学から表情研究へーその2

 

(前回のお話)

大学院でコミュニケーションのメカニズムを学ぶうちに、暴動という集団行為の根底に流れるコミュニケーションのメカニズムに興味を抱き、それを可視化しようと試みたものの…

 

 

仮説は立てられるのですが、どうしてもその仮説が実証できないことに気付きます。

研究を始めて1年経てからのことでした。

 

なぜ実証できないか?

 

データがない!

 

もっと正確に言うと、私がアクセス可能なデータがない、ということです。

 

問題は2つ。

 

問題①お金

問題②言語

 

お金。インドには暴動のデータを保存している機関があるのですが、そのデータを取得するには法外なかなりの額のお金が必要でした。研究費もなく、自己資金もなく、データ取得を断念しなくてはなりませんでした。

 

言語。私は、ヒンドゥー語が全くわかりません。主導者らのスピーチが英語ならばまだ良かったのですが、半年以上探しても英語で取得な可能なデータが見つからず(暴動に関わるデータは限られているため、暴動発生前のスピーチデータがそもそも存在しているのか否かも謎ですが)、スピーチ分析や映像分析を断念しました。

 

インド専門ならば、ヒンドゥー語学べば。と言われてしまいそうですが、私は集団暴力につながる人々のコミュニケーションに関心があり、インドの暴動を専門にするつもりはありませんでした。インドの暴動に関しては宗教と政治が複雑に絡み合う様相が興味深く、ただ分析対象として魅かれたのでした。当時、英語もまだまだ、統計学もまだまだ、専門知識もまだまだだった私には、ヒンドゥー語を学ぶ費用対効果が悪すぎると感じていました。

 

そこでこれまでのアプローチを全て捨て去り、学部時代に学んでいたスキルを使って暴動のメカニズムを解明することにしたのです。

 

修士論文は政治経済学の手法で執筆しておりましたが、表情が私にもたらした魅力が頭から離れることはありませんでした。

 

そこで当時の私は、修士論文執筆の傍ら、表情学に関する勉強をしておりました(そんなことしていたら修士課程に4年?休学していて記憶があいまいなのですが、気付いたら3年?経っていました)。

 

修士課程修了後、本格的に表情研究に専念したく表情研究が出来る大学院を探しました。

しかし、納得出来る研究室が見つからず、資金的にも余裕がなかったため、取りあえず、大学院に行くことは断念しました。

 

一度就職して、余裕が出来たら大学院?資金をためて自分の研究所を作る?取り敢えず、教育関連の仕事をしながら、色々考えを巡らせているうちに、ミラクルな人とミラクルな出会いを重ねさせて頂き、今日があります(この辺の経緯はまたの機会にでも)。

 

ということで、修士課程の頃から表情学を今日まで学ばせて頂いておりますが、表情学に関する専門知識はほぼ独学で身に着けていきました。(修士課程以上は、専門分野だとしてもほぼ独学の比率が著しく高いわけですが)ほぼ独学で専門知識を得ることが出来た理由は、大学院でメディア・コミュニケーション理論や認知心理学の根幹を学べたことに加え、至極今日的な事情の巡り会わせのおかげがありました。

 

そのあたりの経緯はまた次回に。

(続く)

 

 

清水建二